1860年5月22日=万延元年4月2日
1858年7月に結ばれた日米修好通商条約の批准書交換のため幕府は正使を新見豊前守として遣米使節を派遣しました。
使節一行約80名は米艦ポーハタン号で渡米、163年前の5月22(和暦4月2日)ワシントン米国国務省において日米修好通商条約批准書交換しました。
使節一行はヒラデルフィア、ニューヨーク等アメリカを視察、大西洋インド洋を経て帰国しました。
なお、使節の護衛艦として咸臨丸が太平洋を渡りました。軍艦奉行木村摂津守、艦長勝海舟以下日本人乗組員96名で、任務を果たして6月24日品川へ帰港しました。