1854年5月13日(嘉永7.4.17)
1854年3月31日締結された日米和親条約で下田が開港場となり、アメリカのペリー提督は、7隻の黒船(蒸気船2,帆船5)で1200名余の将兵を率い下田に来航しました。 同条約では翌年箱館を開港することになっていたので、艦隊は165年前の今日、調査のため下田港を函館に向け出帆しました。 下田に帰港したのは6月7日(和暦で5月12日)でした。
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