1854年3月23日(嘉永7.2.25) 日本に開港を求めて来航したアメリカのペリー提督は、横浜で幕府の代表(林大学頭他)と日本の開港について交渉中でした。ペリーは開港場として神奈川などを望みましたが、幕府は神奈川は江戸に近すぎる事もあり拒否し、下田を候補に挙げました。 そこでペリーは、艦隊のサザンプトン号、ヴァンダリア号を下田に派遣し下田港の測量、食料、燃料、飲料水などの調査をしました。その結果下田を開港場とすることが決まりましたが、調査のため2隻が下田入港したのが165年前の今日です。
このサイトについて | サイトマップ
Copyright (有)豆州下田郷土資料館. All Rights Reserved.