黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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州佐里崎(スサリ)お台場の図

州佐里崎(スサリ)お台場の図

2022年6月の逸品

18世紀後半、日本近海に外国船が姿を見せるようになり、伊豆半島南端の下田湊の入り口の州佐里崎、狼煙崎にお台場建設が計画されました。しかし、幕府の財政難もあり幾度も計画が見直されお台場が設置されたのは天保14年(1843)年でした。この絵図は州佐里崎(現下田市須崎)にお台場の絵図で、大砲7門、と遠見番所、火薬庫などがあがかれています。

浦賀奉行伊沢美作守の手紙

2022年2月の逸品

伊沢美作守はペリー来航の時浦賀奉行の職にあり、林大学頭と共に日米和親条約の締結に当たりました。次いで下田奉行を命じらました。この自室の手紙は下田奉行支配組頭伊佐新次郎に宛てたものです。下田でペリーとの対応を終え、江戸に帰っていた美作守が次々に飛び込んでくる海外の情報に心を痛めている状況が偲ばれる貴重な資料です。伊佐に開港した下田の外国船からぜひ情報を集めて欲しいとのべ「本條寝ても覚めても心にかかり申し候」と結んでいます。

鈴木真一の写真入り壺

2021年11月の逸品

この壺は下岡蓮杖の高弟の鈴木真一が自分の肖像写真と自己の経歴を、白磁の壺に約付け骨壺とした珍しいものです。真一は伊豆西海岸、岩地の高橋家に生まれ下田の鈴木家の女婿となり、慶応2年横浜で下岡蓮杖から写真術を学び、明治6年、横浜の弁天橋前で開業、翌年真砂町に移転しました。真一の写真技術は早くから高く評価され明治22年には天皇、皇后両陛下を撮影の栄に浴しています。