黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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163年前の2月10日

163年前の2月10日

1860年2月10日=安政7年1月19日
163前の2月10日遣米使節護衛艦咸臨丸(かんりんまる)が浦賀を出帆しました。
1858年7月結ばれた日米修好通商条約の批准書交換のため、幕府は正使を新見豊前守として使節を派遣しました。使節一行約80名は米艦ポーハタン号に乗船しましたが、使節の護衛艦として咸臨丸が太平洋を渡りました。
軍艦奉行木村摂津守、艦長勝海舟以下日本人乗組員96名。任務を果たして6月24日品川へ帰港しました。
なお遣米使節を乗せたポーハタン号は3日後の2月13日横浜を出発、アメリカに向かい、5月23日(和暦4月2日)ワシントンで批准書交換し、ヒラデルフィア、ニューヨーク等アメリカを視察、大西洋、インド洋を経て帰国しました。