1898年9月22日=明治31年9月22日
124年前の9月22ヒ下田船渠合資会社が設立されました。下田では江戸時代から造船が行われており、ペリーの黒船艦隊来航の記録にも記されています。
幕末から明治の下田の造船業は現在の市街地と武ヶ浜の間の中洲にあり、 船大工の棟梁は14名居り、その配下の大工、徒弟、関連職人を含め100人以上の造船関係者がいました。
伊豆の造船の歴史は古く、万葉集にも「伊豆手船」と出、またロシア使節の乗艦ディアナ号が津波で破壊され沈没し、その代船「ヘダ号」の建造で洋式造船発祥の地でもあります。
近代的な造船業を目指して造船所仲間や有力者で下田船渠合資会社を設立し、多くの困難に中で下田町鵜島に石造りの200トンドライドックを完成させ、1901年事業を開始しました。