黒船来航により、日本で一番最初に港が開かれた街、下田の記念博物館

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145年前、166年前の5月7日

145年前、166年前の5月7日

1875年5月7日(明治8年5月7日)
145年前の5月7日、ロシアのサンクトペテルブルグで千島樺太交換約が結ばれました。
日本の特命全権大使は榎本武揚。安政元年下田で結ばれた日露和親条約で、南千島(エトロフ島より南)は日本領、北千島(ウルップ島より北)はロシア領、樺太は共同使用としましたが、この千島樺太交換条約で全千島列島は日本領、樺太全体ロシア領となりました。この頃領土は戦争の結果として決まるのが一般的でしたが、この2つの条約は戦争ではなく外交交渉で、平和的に結ばれたもので、世界史上特筆すべきことです。

 

 

 

1854年5月7日=嘉永7年4月11日

吉田松陰がペリーの黒船で海外密航を計った事はよく知られていますが、決行したのはこの日より13日前のことでした。松陰と金子重輔は旗艦ポーハタン号への乗船までは成功しましたが、海外渡航は拒否されボートで岸に帰され、柿崎名主平右衛門家へ行き、下田奉行所に自首の取り次ぎをさせ、夜同心が引き取りに来ました。幕府役人に取り調べを受け、166年前の5月7日2人は唐丸駕篭で天城越えで江戸送りとなりました。