1853年10月17日=嘉永6年9月15日
徳川幕府は1635年(寛永12)、500石以上の大型船の建造を禁止しました。これは大名の軍船を規制するためで、2年後には軍船を除き大型船の建造を 許可し、以後いわゆる千石船による海運が発達しました。
しかし18世紀末頃から外国船が日本近海に姿を見せるようになり、幕府は鎖国を守ろうと色々な施策を講じましたが、大型軍船の必要にせまられ、166年前の1853年10月17日、ついに大船建造禁止を解除しました。
そして幕府は1854年浦賀に造船工場を開き、3本マスト(長さ22間、巾5間)の鳳凰丸を建造し、薩摩藩(昌平丸・3本マスト、長さ15間、巾4間)、水戸藩(旭日丸)等も洋式船の建造に向かいました。