1854年4月21日(嘉永7.3.24)
下田開港に伴い165年前の今日、下田奉行が設置され、浦賀奉行伊沢美作守が下田奉行に任じられました。とりあえずお宝福寺を仮奉行所としました。 江戸時代下田には3回下田奉行が置かれました。第1次は1616年から1721年(元和2年~享保6年)で下田に海の関所が置かれたときで、14代 15人(第8代は2人制)でした。第2次は1842年から1844年(天保13~弘化元年)で日本近海に外国船が多く姿を見せるようになり海防のため下田に奉行を設置しましたが幕府は財政難で2年で廃止しました。2人制で2名でした。第3次が159年前で、横浜が開港し、日本最初の開港場下田が閉港になるまで(1854年から1860年、嘉永7年~万延元年)、2人制で5人の奉行でした。